職場の人が自己愛性パーソナリティ障害かもしれない話。

このようなことを考えて発表することは、なんらかの問題になってしまうのでしょうか。

 

しかし、現にそのような可能性を感じるような行動、言動が見られ、困ったことになっているため、この度(愚痴混じりですが)書くことにしました。

 

当該の職場の人(以後Aとする)は、基本的に仕事熱心で、リーダー的な仕事も担っている人物です。Aがいないと、半分ぐらいは仕事がまわらない状態であることは間違いありません。
Aは、その熱心さが起因して、職場の様々な問題について発言をしがちです。その際、非常に他罰的に他人を責める言動が多く、しばしば険悪な雰囲気となってしまいます。さらに、相手の立場を考慮せず、自身がおかしいと思ったことは納得がいくまで徹底的に追及する性質があり、見ていてハラハラすることも多いです。
また、自身もたまにミスをしたり、遅刻したりなどの行動が見られますが、それらの点については特に謝罪や反省はなく、むしろそこでも他罰的な言動が出てくることさえあります。

 

要は、他人のミスや自分にとって違和感があり納得がいかない他人の言動、行動が許せないが、自分の行為はオールオッケーな人物なわけです。

 

一部(ターゲットにされた)他の職場の人は、管理者でもなくそのようなミスも見られるAに対し、「なぜそんなことを言われなければならないのか」と憤慨しています。

 

この件について、私の立ち位置はなんなのかと申しますと

 

…板挟みです(´;ω;`)

 

いやぁ~困りました。双方から「あれはおかしいこれはおかしい」「一緒に仕事したくない」などと言われ、その都度話聞いたり調整したりと奔走。

 

私自身、Aのその行動が全て悪いとは思っていないわけなんですよ。仕事について真正面から向き合い、よりよくしていこうとする気概そのものは称賛に値するし、出向の身からしても子会社の安定はそれだけ安心につながりますのでね。

 

ただ、とにかく言い方と顧み方が悪い。悪すぎる。もう少し伝達や提起の方法を変えるだけでも全然違うのになぁと思いつつも、Aに意見したら何言われるか分かったものではないのでなかなか言えないでいます。

 

この、「他罰的」「自分に甘い、正当化しがち」な面は、自己愛性パーソナリティ障害の症状に近いものがあるなぁと私は思います。実際のところ、私にもその要素はふんだんにあるのです。ただ、特に職場では往々にして自分がミスをすることもあるわけで、完璧ではない自分が、そこまで他罰的に行動できるかと言ったらとてもできない。そこがストッパーになり、職場の人がミスをしても、全然責めようという気にはならないです。むしろ「いいよいいよ、大丈夫」と言うタイプ。
まぁ、Aほど情熱がないのも理由の一つだとは思いますが…笑

 

既に、そこそこ険悪な状態になってしまっている弊社。この先、さらに悪化するようであれば社員が辞めていく事態にも繋がりかねません。あぁー本当にどうしよ。私が頑張らねばまずい…。

自己愛性パーソナリティ障害の人が会社員やっていくことの苦しみについての話

近似した内容はいくつか書いてきましたけど、あらためて思いますわ。

 

会社員と自己愛性パーソナリティ障害はものすごく相性が悪い。

 

パーソナリティ障害に分類される他の障害もかなりしんどいとは思うんですよ。やはり、会社員ってなんだかんだ「コミュニケーション」と「行動」の2点で利益上げていくわけで、このうち「行動」はまだしも「コミュニケーション」には多大な影響があるのがこれらの障害でしょう。

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まだね、社内で相当上の役職についてて、裁量権もほぼMAXあり、全てが自分の思い通り行くのであれば大丈夫だとは思うんですね。(自己愛の程度にもよるかもしれませんが)しかし、特に若い会社員はそうでないことがほとんど。上司先輩の手駒や下手したら奴隷みたいな感じで、尊厳を喪失させられる毎日が続いているのでは?

 

いやもうよくわかりますよ。私もあまり詳しくは書けませんが、先日また本業で腹立つことがあって、そのせいで最近おとなしかった自己愛が再発気味です(´;ω;`)

 

こうなると、自己愛性パーソナリティ障害を抱えながらの就業は、非常に苦しい毎日です。抱えてない人ですらつらいのに、これが加算されるとなるともう脳みそ沸騰ストレス大爆発なのは不可避。

 

やはり、自己愛性パーソナリティ障害の人は、自身の尊厳がまだ保たれやすいフリーランスや自営を選ぶことが、何よりの安寧につながるとは思うんですね。会社員は悪化させていくばかりになってしまうことが多い。

 

人付き合い、仕事の量、時間、場所。これらが「選べる」というのは、自己愛性パーソナリティ障害の人には魅力的かつ必要なことではないかなと思います。(そうでない人もそうだと思いますが)

 

なにより、「命令」されない立場にいないと、ずっと尊厳と地位を侵されているだけの存在となってしまうことが許せませんよね。いやー本当そうだわ。

 

だから私も、どうにかこうにか一歩ずつですが会社員から徐々に逸脱できるように努力は…となんか言うだけ言っているような状態にも近いかもしれない(;'∀')

 

ただ、本業がうん〇ちであればあるほど、それが燃料になるのは中長期的には自分のためになるのかな?とポジティブな目線も持つようにはしています。

 

私が私のために生きられるよう、今後もさらなる飛躍と努力をがんばらねば。

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自己愛性パーソナリティ障害の人は都心に住むと改善されるかもしれないという話。

以前に比べて、明らかに都心に住み始めてから自己愛性パーソナリティ障害は小康状態です。
いくつか思い当たるものを列挙してみます。

 

①羨ましがられる

特に、首都圏(埼玉、神奈川、千葉、23区外)に住んでいる人にとって、都心は毎日苦労して通勤通学などを行う場所であり、住む(住める)場所ではありません。そこに住んでいるとなれば、通勤通学も楽だし、日常的に便利だしで羨望の的になります。自己愛性パーソナリティ障害の人は、他者による自己への肯定に飢えることが多いですが、住所を言うだけでそれが満たされるのです。ある意味コスパが良いように感じます。

 

②圧倒的かつ異常な地価

なんとなくでもご存知の方は多いと思いますが、都心の地価は圧倒的かつ異常な値段です。たとえば、南青山にこの前新規オープンしたシンプルな青空月極駐車場は、一カ月約86000円です。また、銀座の時間貸駐車場では、10分600円するところもあり、駐禁取られたほうが安い可能性があるという異常性です(だからといって駐車禁止区域に駐車するのはやめましょう)

家賃も当然異次元です。港区では、10万以下では6畳の1Kがギリギリ借りられるかどうかです。分譲では、新築3LDKで10億近いマンションも存在します。また、不動産屋が「マンション残り1邸!1億700万でお値打ち!」みたいな看板を持って立っている光景も見られます。
①と共通していますが、そのような価格帯の賃貸や分譲に住んでいるというのは、ほとんどの日本国民の家賃よりも上です。現実問題、多くの国民はそれだけの家賃を払うことは難しいでしょう。それにより、住むだけで優位性を保つことができるのです。

 

③日本の中心である

中央区には銀座や日本橋、港区には赤坂、青山、六本木、白金など、そして千代田区には霞が関や皇居があります。まさに日本の中心、中枢であり、ここから国は動きます。大きな権威性がこのあたりには存在しています。
自己愛性パーソナリティ障害の人は、権威をまとうことを好みます。実態が伴っていないとしても、とりあえずのまといである程度満たされる可能性はあります。
特に港区には、退位された後の両陛下が仮住まいで白金高輪の旧高松宮邸、その後改修が終わればお住まいになられる元赤坂の東宮御所があります。このことに魅力を感じる自己愛性パーソナリティ障害の人はきっと多いのではないかと思います。

 

ここまで読んで、「うわっなんだこいつ」と思った方のほうが多いかもしれません。しかし、自己愛性パーソナリティ障害の軽減、改善はまずこういうところから始めないと難しいと思うのです。深層での自己肯定感の低さから、過度な自己愛に苛まれることがこの障害の主な出発点です。そうであるなら、自動で自己愛を満たしてくれる環境にいれば、そこにいる限り小康状態になれる可能性は大いにあると感じています。

 

また、この「都心に住む」というのは、自力で実行するのであれば誰にも迷惑かけない方法です。自身の膨張した自己愛により、肉親や恋人に八つ当たりやモラハラしたり、全く能力や実績もないのに「自分は凄い、人類の王」とホラ吹いたりするような緩和方法に比べると、他人への迷惑度は天と地の差です。
ただし、都心に住んでいることを殊更自慢するのはやめましょう。嫌われます。というより、一言どこに住んでるかいえばもう後は羨望の的になることが大半なので、余計なことを自分から言う必要はないでしょう。

 

この方法の欠点としては、既に都心に住んでいる、もしくは生まれも育ちも都心なのに自己愛性パーソナリティ障害を患っている人には有効でないというところです。その環境が当然だった人には、実感がわきにくいのは仕方ないのかもしれません。少し現実的でないですが、そのような人はニューヨークやロンドンなどの海外の大都市の一等地に引越すと、都心に住むのと同じような感じで改善される可能性はあります。
…まぁ、キリがないといえばない方法ですが、よほどの重症でない限り、ある地点で緩和される可能性があるとは信じています。

 

あくまで自分の実感に基づいた仮説なので、その点はご了承ください。

この私こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!⑤小康状態編

さて、今日は私の自己愛性パーソナリティ障害が、最近おとなしいことについて書きたいと思います。

 

この1カ月ぐらい、「私が人類の王だ」「愚民どもひれ伏せ」などといった妄想をすることが減りました。なぜなのか考えてみたところ

・職場で評価されることが多くなり、本社とも子会社ともうまくやれるようになった。
・2週間に1回は、回らない寿司か游玄亭など高級店に行って(もちろん一人)ストレス発散している。
Twitterも楽しく運用できている。

 

などです。

 

つまり、自己愛を他者により満たしてもらえる状況にあるということですね。こうなると、自分で自己愛を満たす必要がなくなり、誇大妄想に浸ることも格段に減るわけです。

 

溢れる自己愛を、他者によって充足してもらえない自己愛性パーソナリティ障害の人は、周囲に認められるように努力することが最も改善できる要因であるし、周囲にとってもメリットが大きい行動でもありますね。

 

厳しいことを言うと、自身が置かれている立場から鑑みて、相対的に「無能」(と思われてしまう)である状態が自己愛性パーソナリティ障害を悪化させる大きな原因でしょう。それならば、自他ともに認める「有能」になり、常に褒められる環境を作るように努力すべきでは?と私は考えを改め始めています。

 

他者は、そうそう簡単に褒めてくれません。その分、褒められると喜びもひとしおでしょう。それが、自己愛性パーソナリティ障害を小康状態にさせてくれる可能性は大いにあると私は思います。

 

もちろん、「そう簡単にそんな状況作れるか!私は今のままで褒められたいんじゃ!なんでそんなことをこの偉大な私がしなきゃいけないんだ!私を認めないほうが無能!バカ!」と思う人もいるでしょう。いや、気持ちはよくわかるんですよ。しかし、そのままで苦しむのはまず自分です。可愛くてたまらない自分が苦しんだままでいいんですか?私は嫌だから、努力の途中なのです。そして、実際に成果が出始めているので、こうして書いています。

 

これが、自己愛性パーソナリティ障害をうまく使う方法のひとつでしょう。周囲に認められるために、「正」の努力を惜しまない。その結果、認められて自分も周囲もwin-winな状態にある組織の完成。良いことだと思いますね。

 

私は、今後もこの方法を取り入れて、自分の自己愛性パーソナリティ障害がどうなっていくか向き合いたいと考えています。

「自己愛性パーソナリティ障害の人とは(できることなら)関わるな!」と言う人についてという話。

聞いてください。

 

ネットで、「自己愛性パーソナリティ障害」と検索したら、いくつもサイトが出てきます。

 

その中には、「自己愛性パーソナリティ障害の人とは(できることなら)関わるな」(要約です)と書いてあるものも存在します。

 

理由としては

・自分の権威保持のために、他人を不当に利用する
・心身に対し関わる人を強烈に責めるため、疲れ切ってしまう
・チームプレーができず、自己中心的。組織ではリーダーになりたがる
などなど…。

 

いや、よくわかりますよ。上記のような人とは確かに関わりたくない気持ち。
だからこそ、どこかつらい気持ちになります。「迷惑かけてるよなぁ」とか、「治したほうがいいのかなぁ」とか…。

 

私は、おそらく中~低程度の自己愛性パーソナリティ障害だと思うんですね。なぜなら、会社や公の場では「私はすごい」「人類の王だからひざまずけ」などとは発言しないし、思ってないからです。
どうやら、重度の人は会社でも出るみたいですね。「私は仕事できるから。ナンバーワンだから」とかいうのに、別段成績もよくなく、周囲から孤立している人みたいな感じらしいです。

 

たしかに、重度の人は周囲に迷惑かけすぎている部分があると思います。やはり、そういう人は自覚すべきだと私も思います。なぜ会社で孤立しているのか?なぜ仕事できないくせに私はナンバーワンだとか思ってしまうのか?を自戒すべきなのです。
しかし、自己愛性パーソナリティ障害の人は、この行為に非常にストレスを感じますし、結局認めないことも多々なようで…。
本当どうしたらいいんでしょうね。
「自己愛性パーソナリティ障害を治すことはなかなか難しい」とも書いてありますし…。私自身も、治そうと思ってもそれが多大なストレスとなり、自己治療が遅々として進まないのが現状です。多分無理そう。

 

「関わるな!」と言われてしまうと、今後の人間関係も怖くなってきますよね。そりゃ基本的には自分に落ち度がある話ですけどもね。どうにかこうにか抑えているからこそ、正社員やれているんでしょうけど…。万が一漏れたらやばいですしね…。

 

もっと考えていく必要がありますね。
私は、自己と向き合いつつも、以前書いたように発信力をつけて、同じように悩んでいる人の声を拾えたらと思っていることには変わりありません。

 

 

この私こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!④悩み編

好評いただいておりますこのシリーズ。

 

投稿以来、コンスタントに読まれていますので、同じような方や、周りにもしかしてそうなんじゃないか?と思われる人がいる方など、さまざまな方々が来られているのかなぁなんて思っています。

 

さて、ここにきて、実際問題これは「障害」ですから、私でもいっぱしに悩みがあるわけなんです。今回は、それについて書いていきます。

 

①恒常的にストレスが溜まる

第一に挙げられるのはやはりこれです。ほとんどの自己愛性パーソナリティ障害の人は、理想と現実のギャップが凄まじいのではないでしょうか?私でいえば、ことあるごとに「人類の王」と自称していますが、現実は全く異なります。(というか他の誰も人類の王ではない)

この人類の王をですね、ことあるごとに認識していると、いずれ外に出れなくなり、しまいには死ぬしかなくなります。それは、私も重々承知していますので、これまで書いてきたように普段は抑えています。この抑えること自体も、そこそこのストレスなんですよね。

 

自分自身に対してもそうですが、周りの人間に対しても頻繁に苛立ってしまうのも自己愛性パーソナリティ障害のひとつの特徴です。周囲が自分のことを尊敬、尊重しない、敬意を払わない、特別扱いしないことなどに異常に敏感で、ときにはそれについて噛みつくこともあるみたいですね。

 

私は、これも自分なりに頑張って抑えているつもりなのですが、ついポロっと少し出てしまうこともあり…。周囲の人はみんな大人なので、「えっ」ぐらいにしか思われてはないと思いますが、私は出てしまった日は帰宅して「やっちまった」と一応反省してます…。(結局その後いつもの自分への慰めタイムが入りますが)

 

②金がかかる

溢れる自己愛をどうやって慰めるのか。これは多種多様あると思います。私の場合、こう見えて家族、恋人以外の人には結構気を遣う(と言われているのでそうなんでしょう)タイプなので、直接他人で解消することはしません。
私が行う自己愛の慰め方は、高級なものを買い、高級なものを食べることです。特に、東京に来てからこの方法を取るようになりました。
東京は、高級なものに溢れている街です。この方法にはぴったりの地域ですね。
これがね~すごくスッキリするんですね。高級なものに浸ることで、「この私だから当然だ」と思いつつも「やはり他の人類とは違う」という自己肯定感がもりもり湧いてきます。たまりません。

ここで表明したから「なんだこいつ」感が出たかもわかりませんが、本来黙っていればあまりバレない話ですし、もちろん借金して行っているわけでもありません。また、散在することで日本経済に微力ですが普段以上の貢献もしていることも鑑みると、悪くはないというか、他人に迷惑はかかっていないと思います。一人で勝手に自分で(主に本業で)ひいひい言いながら稼いだ金で浪費し自己愛を満たす。自己完結しているので問題ないでしょう。

 

しかし、この方法はとにかく金がかかるのがつらいところです。毎日はおろか、毎週行うことも難しい現状です。非常にストレスが溜まったときは、つい臨時でやってしまうこともありますが、大抵寝る前に涙で枕を濡らします(;'∀')
これを思う存分やるためには、とにかくどんどん稼ぐしかありません。実力、能力をつけ、邁進していかねばと思います。

 

とりあえずこの辺にしておきます。次回があれば。

この私こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!~私の付き合い方編②

続きを書いていきたいと思います。

 

③自分を責めないことのメリット

 

自己愛性パーソナリティ障害である私は、自分のすべての決定を肯定しています。したがって、「あのときああすればよかった」といった苦悩を抱くことがありません。どのような結果であれ、「人類の王であるこの私が下したものなのだから一様に正しい」と思えるのです。

これについては、他者を巻き込んだ決断であれば危険な思考です。私もそれは理解しているつもりなので、そのような場合では、間違っていたときはきちんと一旦は反省します。
…まぁひとりになったら結局正しいと思うんですが(;'∀')しかし、反省するだけマシだと考えています。

自分に対する自分のみへの影響しかない決断については、迷いなく正しいと思います。
この思考は、
・決断後の行動を迅速かつ自信たっぷりにとれる
・行動後のくよくよ時間の削減
・決断そのものへの強固なアシスト
などが期待できます。

④ 全く落ち込まない

 

③に似ていますが、私はほとんど落ち込んだことはありません。「どうしよう」と悩むことはありますが、いちいち何かあったからといって落ち込むなんてことはありえません。なぜなら、この私だからです(自分でも何言ってんだと思いますがw)

 

言い換えれば鋼のメンタルを装備しているということです。私からしたら落ち込む時間はもったいないし、仮に落ち込んだ場合原因を作った相手に腹がたってしかたないわけですよ。「おのれ愚民が」となります。屈したような気持ちになることは、人生において避けたいことのひとつになっていますのでね。

 

これについての例外は、自然災害関連ぐらいです。私はあくまで「人類の王」であって、「地球の王」「宇宙の王」ではないとは自覚してます。よって、自然災害の被害にあったらつらいし落ち込むし、隕石落下や宇宙大爆発(?)などが起きたら諦めます。あくまで人間相手のみです。

 

この私こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!③~私の付き合い方編~

連載していますこの話題。

今日は、自己愛性パーソナリティ障害との私なりの付き合い方について、書いていきたいと思います。その前に前置きから。

⓪まずは認知!

この障害の大きな問題点のひとつが、「本人が認めない」という点にあるようです。症状から考えたらそうですよね。自分が神だの王だの思っている人に「あなたそれ自己愛性パーソナリティ障害による誇大妄想で、事実と異なりますよ」なんて言ったら、大抵の場合落ち込むか怒り狂うかのどちらかです。

これについては、親切な第三者の方々には申し訳ないのですが、外部からの影響のみでどうにかすることはかなり難しいです。それよりも、当人が認知していく流れに変わることを私は望んでいます。

私の場合は、なぜだかわかりませんが認知できたので、今このようにnoteも書けています。そして、この障害はうまく利用すれば、自分の力にもなりうると気づいたのです。

① 自己愛性パーソナリティ障害はこんなにも自分を強くする

 

自己愛性パーソナリティ障害は、全てを見下し自分が人類の王であると自認してやまない状態です。私ももちろんその王の一人ではありますが、普段は成りを潜める(ように努力)しています。そんな中で、特に会社でねちねち言ってくる輩がいたとします。そこでは、私の中の王は出てきません。大人しく聞き入れ、ときには「よし、改善してがんばろう!」などと思うことさえあります。

 

しかし、単純に他人から叱責や指摘をされることは、多くの人にとってはストレスでしょう。このとき、自分を責めるだけのタイプの人は、いずれそのストレスで潰れてしまい、退職したり休職したりすることもあり得ると思います。

 

他方で、私のような人類の王は、帰宅するとふつふつとイライラが沸き起こってきます。「この私に、愚民のくせして…」などと、とんでもない思い上がりを振舞いますが、次第に「まぁ、愚民ごときの妄言など聞く意味などない、むしろわざわざ時間を割いてやった私はなんと素晴らしいのか」と思考が変化します。これがストレスを大幅に軽減する方法にもなっているのです。

 

要するに、相手を愚民平民貧民庶民(どれでもいいですが)と指定することにより、現実の力関係から一旦離脱するわけです。そうすることで、真正面から受けるストレスを緩和でき、心へのダメージ量を減らすことができます。気が済むまで行えば、ほぼスッキリしていますので、また次の日何食わぬ顔で出勤できます。
この方法は、自己愛性パーソナリティ障害でない人も導入したらいいのになぁと思うことは多々あります。もちろん、職場ではやらないほうがいいです。メリットがありません。あくまで、一人の空間か、溢れる自己愛を受け止めてくれる人の前でやるようにしましょう。

 

長くなりましたので、次回はこの続きから。

この私こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!②~発症編~

昨日に引き続き、今日もこの話題。

 

今日は、発症編について書きたいと思います。
わりといつぐらいに発症したのか記憶にあるんですよね~。

 

幼少~中学までは特にそのようなことはなかったと思います。過度に他人を見下したり、自分が人類の王と思ったりとかはありませんでした。

 

中学から少しずつおかしくなり始めました。
中学での一番の問題は、それなりにいじめられたことですね。中学入学時に田舎→さらにド田舎に引っ越して、周りに知り合いが一人もいないまさに「レベル0」状態からスタートしたんです。それ自体は、意外と問題なく友達も作れたので良かったんですが、段々いろいろと様子がおかしくなり、結局不良グループに目をつけられ…。若干不登校気味にもなりました。胃潰瘍不眠症などにも罹患し、睡眠薬を毎日のように飲む日々も続きました。

 

ここで私が自殺をしなかったのは、「このクソ田舎者どもが!知見も了見も枯渇している虫けらのくせして!」という思考に縋っていたからでした。当時の私は、他人を完全に見下すことで、精神の安寧を保つほかなかったのです。

 

多感なこの時期に、このような経験をしてしまうと、もれなく精神が歪みます。ここがまず始まりでした。

 

そして、なんとか卒業。高校へ進学しました。高校では、本当に普通の学生生活を送れました。しかし、高3。私の高校は一応「進学校」とはなっていましたが、実際はセンター試験すら受けず、書類出せばほぼ受かるような大学に進む人間が9割の学校でした。つまり、日が経つにつれ、「受験終わったぜparty night!フゥーーーーーーーー!!」な連中が湧き始めました。

 

私は残り1割の、センター試験も受けるし真っ当に受験しなきゃいけないタイプでしたので、次第に学校に行きづらくなりました。

 

さらに残り1割の中でも、ほとんどが国公立志望で、私学志望はわずかでした。学校自体も、公立高校だったので、受験対策の指導も国公立ばかり。私は頼れる人間が居なくなりました。まさに孤軍奮闘です。

 

今みたいにSNSも盛んでない時代。対話できるのは自分だけでした。何度も折れそうになる心をどうにかして支えなければならない。そんなときに、私が開けてしまったパンドラの箱が、「他人は全員クソ!私こそが完全なる人間だ!だからやれる!合格できる!」というとんでもない思考方法でした。これ自体は、先に書いた中学時代に受けた心の傷が、治らず化膿してできたものだと今でも思います。それを、高校時代は終盤まで楽しく過ごせていたので、無意識に消毒剤を染み込ませた包帯でくるめていたんだと。

 

そのままでいれたらよかったんですが、恐らく自我の崩壊が近づいて包帯を取り換えるのが間に合わなくなったんですね。その結果、膿がだだ洩れになり、思考が支配されてしまいました。

 

大学は、第二志望とはいえ納得のいく進学となりました。しかし結局、卒業までこの思考は引きずりました。

 

…とまぁこんな感じですね。中学時代の膿が、高校時代終盤に溢れかえった結果、もう思考の一部と同化してしまうほどに広がってしまった。それが、2019年の今では、さらに悪化している。

 

ただ、悪化といいましたが、悪いことばかりではないと思うんですよね。次回は、私なりの付き合い方について書いていきたいと思います。

 

この私こそが自己愛性パーソナリティ障害だ!という話①

あのですね、数年前から断続的に家族や昔の恋人などに言われることがあるんです。

 

「wasって…自己愛性人格障害じゃないの?」

 

ふぉん?なんですのそれは?

 

気になった私は、インターネッツで調べました。

「自己愛性パーソナリティ障害(じこあいせいパーソナリティしょうがい、英: Narcissistic personality disorder ; NPD)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込むパーソナリティ障害の一類型である」ーwikipedia

 

な、なるほどな。そんなこの私こそが偉大で、人類の王などとは思って…

 

「自己愛性パーソナリティ障害の症状
人より優れていると信じている
権力、成功、自己の魅力について空想を巡らす
業績や才能を誇張する
絶え間ない賛美と称賛を期待する
自分は特別であると信じており、その信念に従って行動する
人の感情や感覚を認識しそこなう
人が自分のアイデアや計画に従うことを期待する
人を利用する
劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる
嫉妬されていると思い込む
他人を嫉妬する
多くの人間関係においてトラブルが見られる
非現実的な目標を定める
容易に傷つき、拒否されたと感じる
脆く崩れやすい自尊心を抱えている
感傷的にならず、冷淡な人物であるように見える」ーwikipedia

あーそうですかそうですかぁ。うんうん。

…99%当てはまる(;'∀')

うわあああああ当たってるぅううう

と、そのときは思いましたが、2秒後に

「いやしかし、だからなんだというんだ。この私こそが人類の王なのだから、かえって当然だ」などと思い返しました。はい、重症ですね。

 

自分で調べただけで、専門医から診断を得たわけではないので、自称ではあります。しかし、99%該当するのは重症確定な気がします。

 

ただ、私の場合普段はこのような症状が露呈しないように意識しています。そうでないと、雇用されて働くのはかなり難しいからです。

 

その結果からか、症状の中の「多くの人間関係においてトラブルが見られる」だけはなんとか該当しません。というのも、症状を自覚しているため、逆に自制して他人と振舞っているからだと思います。

 

しかし、多くの人から好かれる人間でもなく、ネット上で人気になれる人材では全くないのが現状です。なんとか振舞っているだけなので、我慢の閾値が低すぎるせいでしょう。あとは、シンプルに魅力がない(笑)

 

外面で我慢している分、家族や恋人には思いっきり露呈してしまうのが本当に情けないところだと思います。勝手に気を許しているため、普段の鬱積(というのもおかしな話なのですが)を存分に晴らしてしまうのです。一番の問題点。

 

これを読んでくださる皆さんはどうでしょうか?先の症状一覧に全く当てはまらない人が大多数なんですかね。

 

次回以降は、発症した起因と私なりの付き合い方について書いていきたいと思います。